教育は命懸け

教育は命がけである、という言葉がありますが、この言葉が意図するところは多岐に亘るのではないかと感じます。
文字通り、命を掛けるほどの熱意を持って教育や育成に打ち込むという捉え方が常識的ではないかと思うのですが、現実的に考えてみると、実際に命を使っている行動でもあります。
基本的に、教育には見返りは期待できないことがほとんどだと思いますが、見返りを期待できないにも関わらず、予測できないほどの膨大な時間を要してしまいます。
人間を数値で表すことは極めて困難であり、その予測できない時間を費やすわけですので、見返りの代わりに成長に喜びを感じることで成立しているのではないかと感じます。
ただ、当然、どのような場合にもこれが成立するわけではありません。
たとえば、親が子どもに対して、何の見返りもなく成長を喜べるのは親だからであり、これが大人同士であって、さらに他人であれば同じように感じることは少ないのではないかと思います。
人生は確実に有限であり、その有限な時間を、膨大な時間を要し、見返りが期待できない教育に費やす。
このように、人生は教育という時間に大部分を占められてしまいますが、同じくして、自分自身も誰かの人生を自分の教育のために占めてしまったからこそ、今があることも事実です。
まさに、教育は命を削り合う戦いであり、愛であると感じます。
教育は命懸けである。

命懸け